レンズの明るさ

 

レンズをいじったり、カタログなんか見てると、ふっと思い出すこと。

レンズのF値って魔物だなあ、と。

同じ焦点距離でも、いくつかの明るさのものがある。50mmというとF1.8が安くて、F1.4はちょっと高い、というような。

 

例えばこのレンズの開放F値はF1.4である。

 

こっちはF1.7。

 

これはF2。

 

かつて、F値対決のようなものがあった時代があったそうである。かつてというのはもう半世紀くらい前。

ズノー光学という会社が、5cm(当時は焦点距離の単位がミリのものとセンチのものがあった)F1.1というレンズを発売した。1953年のことである。当時はこの1.1というF価は世界一明るかったらしい。これに触発されて各メーカーが少しでも明るく、少しでも質のいいレンズを作ろうとしのぎを削るように試みるようになったそうだ。

まず、富士フィルムが50mmF1.2というのを出した。ほぼ同時に、コニカ(当時は小西六)がヘキサノン60mmF1.2というのを出す。なぜ50mmではなく60mmなのかはわからないが、古い時代には焦点距離が長いほうが設計しやすかったふしがあるのでそういうことかもしれない。

 

少しして、キヤノンも50mmF1.2を、そして日本光学が50mmF1.1を発売する。ちなみに、まだ一眼レフの時代ではないので、どれもレンジファインダー用、ライカLマウントやニコンSマウント用のレンズである。

 

www.nikon-image.com

そして、1960年にキヤノンが最終兵器のように出してきたのが50mmF0.95。Fが1より明るい。これが競争の終止符になった。

なんでこれ以上の話が進まなかったか。これはよくわからない。

資料をあたるとどこかにそういう話も書いてあるかもしれないので、本当は調べて書きたいんだけど、手元にないし。

で、これは想像なんですが、技術競争としてはすごい話でも、商売にはならなかったのだろうな、と。

該当レンズ、今でも中古市場ではどれも非常に高価である。特にズノー、フジノン、ヘキサノンあたりは70万とか80万とかいう数字が見える。見ないことにしたい。

これはひとえに、製造本数が少ないためである。コニカの60mmF1.2は製造本数200本くらいらしい。ズノーは画期的なものを作りながら、ほんの数年後にヤシカに買収されている。まあこれはその後出した一眼レフで失敗したこと大のようだけど、大口径で大儲けしていたらヘッジできていただろうし。フジノン50mmF1.2についても、八百富カメラのブログで、「我社の会長に言わせると、フジノンのライカマウントレンズ群はメーカーが売れずに新品を捨て値で処分したレンズという思い出が強いようで、こちらがどんなレンズを見せて珍しいと言っても過去からあまり相手にされませんでした」という回想が紹介されているのもお察しな感じ。ニッコールはそれでも本数がある方のようだが、それでも3000本

早田カメラのブログで紹介されている情報によると、ズノーのレンズの発売当初の価格が95000円だったらしい。フジノンが75000円。ヘキサノンが78000円。ニッコールが予価78000円。キヤノンだけはちょっと時代がずれているのでここには出ていないが、これはキヤノンの公式サイトにあるカメラミュージアムに発売価格が書いてあって57000円。ちなみに同時期に普及用のレンズとして作られたとおぼしき50mmF2.2というレンズは12000円。キヤノンが先だって作った50mmF1.2は60000円だから、キヤノンはけっこう破格で売ってたということになる。

なんかこの数字だけ見ると今どきのレンズみたいである。撒き餌レンズが1万円台。でもその割には時代の最先端のはずのレンズ群がそこそこレンズくらいのお値段だ。

もちろんそんなわけはなくて、当時の物価は今と全く違っていたわけである。例えば、当時の小学校の先生の初任給は1954年で7800円だった。ちなみに同じ年の国家公務員の大卒初任給が8700円。2015年の大卒総合職(いわゆる国家I種)の初任給が181200円だから。

もっとも当時はホワイトカラーの職業自体がだれでもつけるものではなかったわけで、これが消費者物価指数ベースだと、1954年のそれは2012年のそれを100としたときに13.1である

というわけで何をベースにするかによって全然違ってくるのでいかんともしがたいのだが、気軽に換算するのもむつかしいのだが、少なくとも一番安い普及クラスのレンズで、今でいう大三元くらいの感覚になりそうである。

 

いくつか、ネット上に実写レポートがある。

news.mapcamera.com

http://www.oldlens.com/fujinon%205cmf12.html (フジノン50mmF1.2のレンズ実写)

Canon S50mm F0.95キヤノン50mmF0.95の外観と実写)

 

コニカのヘキサノンは、1998年に少し違う設計で限定復刻がなされていて、そっちはいくつか実写レポートが見つかるのだが、元レンズについてはない。

もっとも、その後も全く明るいレンズが出なかったわけではない。F1.2レンズはたいていのメーカーで最高級クラスの標準レンズとしてラインナップされている。ライカからは1976年にノクティルックス50mmF1.0が出ている。

キヤノンは明るいレンズというのはその後も割とこだわっていたようで、昔まだカメラなんて新品で買うのは思いもよらない子供のころにカタログだけを眺めていたころ、キヤノンのレンズカタログに50mmF1.0というのがラインナップされていた。F1.0である。F0.95ではないが、F1.0。EOS用。

特殊な例として、ツァイスがF0.7というレンズを作っていたことがある。これは月に人類が行っていた時代に、月で撮影するために作られたレンズで、10本くらい作られたらしいのだが、のちに映画監督のキューブリック監督が映画に使いたいということで何本かはそちらで使われたらしい。もっとも、映画用に転用するということでなにかと苦労は多かった模様。

ツァイスにはさらには40mmF0.33というのもあるのだが、これは技術アピールのための試作品のようなものらしい。日本のメーカーのも技術アピールみたいなものではあるが、一応販売はされていたわけで。

plaza.rakuten.co.jp

 もう一つ、東京光学、つまりトプコンF0.7のレンズを作っていた。という話がある。

光学機器の歴史は軍需産業と切っても切れないというろくでもなさを秘めているわけだが、東京光学は陸軍御用達のメーカーであった。ちなみに海軍が日本光学。艦これの雪風が下げてる双眼鏡はニコン製かしら。それはともかく、1943年に夜間でも観測できるような観測機器を作りたいので、明るいレンズを開発せいという指令が東京光学の丸山修治氏のところに来たわけである。10本くらい作られたそうだが、戦後どうなったかは不明とのこと。

このときの設計をベースに、1951年の南極探検隊用のレンズが作られている。

 F1より明るいレンズのF値と明るさの関係なんてピンとこないが、1段階絞るとF値は1.4変わるわけである。正確にはルート2。そして1段階絞ると、入ってくる光は2倍になる。

ということは、F1の一つ上の絞りはF0.7。その次が0.5。その次が0.35くらい。

つまり、東京光学やツァイスのF0.7レンズはF1.0の一段階上で、F0.33というのはさらにその2つ上。ということであるな。

 

デジタル時代になって、中国や韓国のメーカーの非常に挑戦的な感じの明るいレンズが出てきた。技術的なこともだけど、フルサイズより小さいフレームのセンサーが普及したので、ボケが欲しいという事情があるんじゃないかなと勝手に想像している。日本のサードパーティレンズにも明るいレンズが出ている。これらのレンズはそこまで高くないものも多いので購入もねらえる。

 例えば、F1.2だと七工匠というメーカーが50mmF1.1のレンズを出している。ライカマウント用なのでデジカメで撮るときはたいていアダプターがいるだろうけど。

中一光学やコシナフォクトレンダーブランドからは、F0.95のレンズが発売されている。

 サードパーティだとシグマやタムロンの現行商品にはない。シグマなんてF1.8通しのズームとかとんでもないものを出してるのに単焦点はF1.4どまりである。